長男 新川 博
私の母、新川和江(しんかわ かずえ)が
8月10日に天へと旅立ちました。
享年95歳でした。
葬儀は「家族だけで・・・」と言う本人の希望により、
親族のみで集い、本日18日家族葬にて見送りました。
本来であれば早くお伝え申し上げるところ、
事後のご通知になりましたことをお詫び致します。
母は9日、胸の痛みを訴えて
老人ホームより救急車で病院に運ばれました。
急性の心筋梗塞でした。
意識のはっきりしている母は、病院で、
もう延命は良いからと、切々と訴えました。
しかし、私はなんとか、もう一回だけ頑張って欲しいと
母を説得し、カテーテル治療を行なっていただきました。
そして、無事成功し家族との再会も果たしました。
翌日、面会に行くと、母は非常に顔色も良くなっており、
孫に冗談も言うほどで、皆、ホッと一安心しました。
しかし、主治医からは母は高齢なので、もし今度、
発作が起こった時は心臓マッサージなどは出来ない旨は
告げられていました。
・・・そしてその日の夜、母は誤嚥(ごえん)を繰り返し
だんだんと心音が細くなり帰らぬ人となりました・・・。
8月10日 夜11時 享年95歳 大往生でした。
ここに、生前賜りました、ご厚情に対し、
厚くお礼申し上げますと共に、今後私ども遺族に、
変わりなきご厚情を賜りますようお願いいたします。
新川 博
新川 和江(しんかわ かずえ)
【生 誕】1929年4月22日(95歳)
日本・茨城県結城市
【死 没】 2024年8月10日(95歳没)
【国 籍】 日本
【出身校】 茨城県立結城高等女学校
【職 業】 詩人
茨城県結城市出身。県立結城高等女学校(のちの茨城県立結城第二高等学校)卒業。小学校のころより野口雨情などの童謡に親しみ、定型詩などを作る文学少女だった。女学校在学中、近くに疎開してきた詩人の西條八十に詩の手ほどきを受けた。
卒業して17歳で新川淳と結婚後、上京し、詩の投稿を始める。1953年、最初の詩集『睡り椅子』を刊行。新鮮で自由な感覚で、母性愛や男女のさまざまな愛の姿をうたう。巧みに使われる比喩表現が特徴。1983年、女性のための季刊詩誌「現代詩ラ・メール」を吉原幸子と共に創刊。1993年の終刊まで女性詩人の活動を支援した。輩出したラ・メール新人賞の受賞者には鈴木ユリイカ、小池昌代、岬多可子、高塚かず子、宮尾節子らがいる。
その詩は多くの作曲家によって歌にされており、中には息子の博の手によるものもある。飯沼信義「うつくしい鐘が…」や鈴木輝昭「良寛」のように、作曲家のために詩を書き下ろしたものも少なくない。
長く『産経新聞』の『朝の詩(うた)』の選者を務た。
2001年(平成13年)3月、結城市名誉市民表彰を受け、2004年(平成16年)5月に開館したゆうき図書館の名誉館長に就任した。
ゆうき図書館 - 結城市名誉市民の新川を名誉館長としており、その寄贈資料を「新川和江コレクション」として展示。
【ゆうき図書館】https://lib-yuki.city.yuki.lg.jp/index.html